不時着アブダクション | Distorted Abduction
17th Jul. - 28th Aug. 2021
KODAMA GALLERY TENNOZ 
Courtesy of the artist and Kodama Gallery
 「不時着アブダクション」と題された本展で、出展作家である久保ガエタンと伊阪柊の両氏が着目したのは、会場である児玉画廊のある天王洲上空を通過する、通称「羽田新ルート」であった。これは訪日外国人観光客の増加を見込み、空港の処理容量拡大を目的として2020年3月29日より運用されている。南風の吹く15時から19時のうち3時間程度の運用として、天王洲アイル上空を毎時約30便が通過していく。国土交通省による2019年の発表時の段階で、騒音対策のため飛行機の到着経路における降下角は3.45度となり、パイロットにとって世界一着陸の難しい空港になると言われてきた。東京都心の真上を飛行するということは、そこに生活する人々の頭上を飛ぶこととなり、計画が発表されたころから運用後一年以上たった現在まで、騒音や落下物への不安の訴えは続いている。今この展示が開催されている児玉画廊の高度約1,500ft、約450m上空を飛行機が掠めている。
 伊阪柊は、以前にも《The Sprite(雷/蕾)》(2021)でこの羽田新ルートを取り上げている。この時、伊阪は通常「線」で示される飛行ルートではなく、そのルートの周りの空間をまるで建築物のような構造として切り出して見せた。皮肉にも脱構築主義的なスタジアムを思わせるような造形をゲームのアプリケーションを用いてシミュレーションし、アラスカ州に設置された高周波活性オーロラ調査プログラム(通称:HAARP)なども絡めながら、SF映画のような語り口で様々な仮説を描く。この映像中に登場するHAARPが、巨大地震を引き起こしたとする陰謀論者もいるほど、何かに結びつけたくなるほどの不穏と、「分からなさ」が憑りついているようだ。
 一方、久保ガエタンの作品にはこれまでにも、《世界は音で満たされている》(2020)などで、音や振動の近現代史に着目し、《聞こえないけど聴こえてる》(2020)と名付けられた「電気ナマズ式地震予知装置」など、地震を科学的に捕えようとしてきた人間の営みに触れてきた。ナマズが地震と結びつくという「信仰」は、高度な科学分析がある現代からみて、ともすれば非科学的なものである一方で、地震をなんとか理解したいという点においては通ずるものを見つけることもできるだろう。また久保は天王洲という名の由来にも視線を向ける。天王洲と呼ばれる前の1751年、江戸前の海であったここに牛頭天王の面が「漂着」する。この面は漁師の網によって引き上げられることで神面となった。展示室内のオブジェクトが意味するところを、この歴史から考えることもできるだろう。
 しかしながら、リサーチの発表などではないこの二人展の本質的な部分は、そうした天王洲の前景や現在には充たらない。羽田新ルートの世界一危険な飛行ルートはなぜこのように私たちに「不安」を与えるのか。また、HAARPのような得体の知れなさが生む不穏さは、なぜ陰謀論者に好まれるのか。なぜナマズは地震と結びつけられて信じられたか。なぜ牛頭天王の面は到来したか。これらに問いとして向かい合うと、そこには多数の論はあれど、正解となる回答はないであろう。作品の制作を、作家のアイデアをメディウムに転写することであるとすれば、その形相は、上述のような問いにあるわけではない。羽田新ルートを飛ぶ飛行機を見ながら、「この飛行機がここで不時着したら…」と思うその心そのものは、私たちの恐怖が掻き立てる想像でしかないかもしれないが、その想像は嫌というほど具体的であり故に恐怖として、私たち一人一人の手元にあるものだ。それはもちろん、私たちが直接体験し、あるいは映像や写真、人づてに写し取った、「こうなるかもしれない」という推論を実在的にするものでもある。そうした可能態を恐れるとき、それを認識して恐れているのではなく、そもそもその可能態が在ることそのものに怯えていることを知る。科学的な分析の目的は、発生する現象を紐解き、理解することにある。だが、この恐怖は私たちに無を思わせるがゆえに、どのように明確でなくとも私たちを不安にさせる。
 あの飛行機は不時着しないかもしれない。というか確率で言えば殆どしないだろう。飛行機の墜落事故で死ぬ確率は0.0009%らしい。しかしそこを飛んでいる飛行機が今ここにやってくることはできる。重要なのはこのことについて「でも0%ではない」とすることとは別の形で、作品が在るということだ。それは別に飛行機でなくても構わない。そんな風に思えてしまうということの想像力は、陰謀論者の愛するものとどう違うか私たちはたぶん分かっているだろう。久保ガエタンと伊阪柊は、それぞれの手法で四次元のうちにパレイドリアを見出している。
大下裕司(大阪中之島美術館学芸員)
Left: 世界は音で満たされている 天王洲篇 | The world is full of sounds TENNOZ ver.
Right: 聞こえないけど聴こえてる | I cannot hear you but I can listen to you​​​​​​​
2021
耳回路 | Ear circuit
2021
銅板にインク
Ink on copper plate
ミス,ア・シング (Myth, A Thing) | Myth, A Thing
2021
月刊ムー 1998年8月号(8月1日発行), ブルキナ・ファソのビランガ村に落下した隕石と思われる石(1999年10月27日落下)
Japanese super mystery magazine "Mu"(issued 1st August 1998), meteorite which has allegedly fell into the village of Bilanga.
「地球滅亡説」として最も有名であろう、「ノストラダムスの大予言」を当時の誰しもが一度は「もし本当に起きたら」と考えたことがあるのではないだろうか。予言に登場する「恐怖の大王 アンゴルモア」を、澁澤龍彦は「妖人奇人館(1971)」の中で、ガランシエールの対訳からであろうか「アングレームの大王」と述べている。アングレームとは私の祖父の高校があった地で、子供の頃、毎年夏になると通過する街だった。
隕石が落ちるのではないかと皆の不安がおあられていた当時、歴代映画興行収入1位を飾っていた映画が「アルマゲドン」であることは、そんな予言と関係があるのかないのかわからないが、主題歌の「I Don't Want to Miss a Thing」は、どういうわけか日本では「ミス・ア・シング」という邦題がついている。本来「どんな小さなことさえも見逃したくない」という意味を込めたタイトルであると思うのだが、邦題は「何かを見落としている」というニュアンスを含んでいる様に感じるのは気のせいだろうか。この作品ではその邦題の綴りを変えた「Myth a Thing」つまり「神話(作り話)のこと」を意味している。
 1999年には7つの隕石落下が確認(公認)されており、その一つであるブルキナファソの隕石のカケラが、大予言の直前に発行された超神秘雑誌の次号予告を貫通している。
一件落着(つち) | Settle down (Dirt)
2021
1999年3月27日に墜落したステルス戦闘機F-117の破片,ベニヤ,コラージュにアクリル
scrap of the crashed stealth fighter "F-117A" on 27th March 1999, plywood, acrylic on collage,
1999年3月27日、セルビア ベオグラード北西に、米軍戦闘機が墜落した。その戦闘機はそれまで極秘技術とされていたステルス戦闘機で、この墜落事件によって初めてその存在が世間に知られることとなる。「視えない戦闘機」として軍事マニアの間では、その存在が実しやか囁かれていたステルス戦闘機は、GHz帯レーダに対するステルス性があったものの、当時セルビア側が使っていた低周波数レーダが、先進国では使われなくなった旧式の探索方式であったために、ステルス効果がなく、皮肉にも丸見えとなっていたために撃墜された。回収された機体は、ロシア、中国のステルス研究に使用された後、現在は戦利品としてベオグラード航空博物館に展示されている。また、解体された一部の破片は「おみやげ」としてミュージアムショップに販売され、極秘とされていた機体は、軍事マニアの間で、巷に流布している。
緊急脱出によって生還した米軍パイロットは、戦後、自らを撃墜したセルビア兵を捜し、数年の手紙のやりとりを経た後、実際に会うことで、お互いの人生の語らい、現在では家族ぐるみの交流をしている。
直りかけのレディオ | Flyingsaucer
2021
撃墜された米軍戦闘機を北ベトナムが溶かし日用品として鋳造した皿、音(北朝鮮などの短波放送を東京で受信し録音したもの)、MP3プレーヤー付短波ラジオ
Plate which has allegedly made by melting a U.S. military figther, a shortwave radio
分解中に行き過ぎてしまって、それを壊してしまうことが多々ある。
分解のきっかけは修理であったり、作品資材のためのパーツジャックであったり、あるいは仕組みを知りたいがための、単なる興味本位だったりと色々とあるのだが、ここまでは大丈夫だろうと分解をしていく途中で道標を見失い、元に戻せなくなってしまったことに気がつく。何かを知るために犠牲が伴うことはこの世の常であろう。
この作品の短波ラジオも虚しく、制作途中にアンテナをどこかへやってしまい放置されていた。会期間近、ベトナム人Thaiから送られてきた丸い皿が届く。ベトナム戦争時に、北ベトナムで迎撃され墜落した米戦闘機を元にしてつくられたというその皿は、アルミと銅でできたジュラルミン製のため、パラボラと呼ぶには大袈裟かもしれないが電波をキャッチする素材としては好都合なものだった。かつて飛行機として空を飛んでいた「それ」をラジオに繋ぎ、空に掲げてみる。海の向こうから、行くことのできない国の音が聞こえてくる。
Good Morning, Vietnam.