Installation view of the exhibition "My body is my laboratory. Or I call it Earth Coincidence Control Office."
21 Jan - 4 Mar 2017
Kodama Gallery TENNOZ
Courtesy of the artist and Kodama Gallery​​​​​​​

久保は、自らの身体を人類とつながる実験室とすることで、世界とその歴史が人間の知性を超えた何かによって導かれているという紛れもない感覚に自分自身を近づけようとしている。まず、先祖の墓を見つけ、その内部をCGで再現して覗き込む。先祖の記憶を宿したカブトガニのマスクをかぶり、幻覚剤のように鼻から塩を吸い、水を飲む。そうすることで心身に海を取り込み、生きた化石といわれるカブトガニが導く内なる海へとさらに沈んでいく。
WRO ART CENTER
久保は、社会科学、精神分析学、哲学から物理学、超常現象に至るまで、さまざまなイデオロギーの中において「オカルト」と目されている理論や現象をテーマとしています。新論の発見などによって歴史的な変革や大転換が起こり、その余波で弾かれていった異論、怪論について独自の考察に基づき作品化する活動を続けています。例えば 17 世紀の科学革命 ( コペルニクスやニュートンのような ) に明らかなように、革命的な新論が従来の「正しさ」を塗り替えて、社会通念を一変させてしまうことが現実にはあり得ます。ひいては現代社会においてもいつ何をきっかけとして常識が崩壊するか分からないということであり、その脆さについて頭の隅に留めておくことは恐らく意義のあることです。その点を美術として取り扱うとなると、過度にポリティカルなものへ移行していったり、特定のイデオロギーに固執したり、真摯に向き合うほど、同時に行き過ぎてしまう危険性とも隣り合わせです。もし、久保の作品がただやみくもに警鐘を鳴らしているだけであったならば注視に値しません。しかし、社会規模の大きなパラダイムシフトを事例にしながらも、本質を変えずに個人レベルにまで縮小凝縮してみせること、そして、取り扱う主題が物質的でなく概念的なケースが多いにも関わらず、本来目に見えないそれらの事象が何かのきっかけで社会常識すら革新させ得る大きなエネルギーへと増幅されていくという仕組みを、可視化しあるいは体感させるという点において他の追随を許さない独自性が見られます。久保自身がまるでマッドサイエンティストでもあるかのように異様な論理と異形の造形物によって次々と無形の「オカルト」を具体化していく様は、そのドラマツルギーとしても、エンタテイメントとしても圧倒的なダイナミクスを感じさせます。そのベースの上に学問や理論に対する理解と曲解が渾然一体となってかろうじて造形的なものとしての姿が保たれています。そして何より、それを鑑賞し、体験する者に対しては、必ずその主題となる「オカルト」について頭だけではなくその身をもって考察する機会を与えるのです。
久保の言う「オカルト」は「狂気」の概念とも密接に捉えておく必要があります。そもそも「オカルト」という言葉自体、元をたどればラテン語の Occulta( 隠されたもの ) を語源としており、その隠蔽のニュアンスから宗教上の異端、神秘主義、衒学の類を総じて差すようになった経緯があります。しかしながらそれはあくまで「正統」という対概念があることによって始めて成り立つ相互関係にあります。久保がよく参照元にしているミシェル・フーコーの論では、「狂気」とは社会がその線引きを行うものであるという趣旨が述べられています。つまり、ごく普通なものと病的なものがあるとして、それぞれを「正常」「狂気」と区別するための根拠と判断基準はその時代の社会的な常識、文化的な背景によって変化するものである、というものです。この考えは、「狂気」に基づくあらゆる思想や行為「オカルト」に対しても自ずと同じことが言えます。つまり、現代社会において、我々が「オカルト」と呼んで真面目に取り合わないような考えの中にも、ひょっとすると世が世なら、あるいはそれを正しいと証明する新論がかつて認められていたならば、今とは全く違う現在を作り出していたかも知れないのです。ノーベル賞を獲るような大発見であったとしても、ブッカー賞を与えられるような美辞麗句にしても、時代と権威が変わればゴールデンラズベリー賞ものにまで失墜するかも知れないのです。
 今回久保は、ICC(NTT インターコミュニティセンター ) での個展「破壊始建設/ Research & Destroy」を契機に実施した、自身のルーツを軸としたリサーチプロジェクトを引き継ぎながら、その過程で自分との間に繋がりを見出した、海 ( 塩 ) との関わり、カブトガニとイルカ、ジョン・C・リリーの感覚遮断装置、これらをキーワードにマインドマップ的に思考を連鎖展開させ、幾つかの関連性のあるインスタレーションとして展示構成します。
「破壊始建設/ Research & Destroy」展は、海軍軍人であった曽祖父の乗っていた軍艦が戦後自衛艦として再生されたという史実に、軍艦および曽祖父の輪廻転生を重ねて解釈するものでした。その後も関心が絶えることがなかった久保は、引き続き曽祖父に縁のある物を探していく中で、曽祖父と父が墓参りの帰路に拾って作ったというカブトガニの剥製を見つけたことが契機となって、戸籍を遡って古い久保家由来の墓地のある地を訪ねました。その際に、曽祖父の生地が古代から塩の産地であることを知り、近い先祖は塩田に関わる生活をしていたのだろうという自分のルーツについての一つの結論を得ます。カブトガニの剥製を機にルーツと塩が結びつき、そして更に、生きた化石というカブトガニの枕詞から、ルーツよりももっと深い太古の記憶を呼び醒ますような思いに駆られた、と久保は言います。そこから記憶と思考が連鎖するようにして、父親が過去にロンドンでドラッグによる作用から特徴的な斑点模様の幻覚を体験し、それが後にある種のイルカの体にある斑点と奇妙なまでの符号を見たことから、その斑点模様は人類とイルカの遺伝子に太古から刻まれた共通のシンボルなのではないか、と話していたことを思い出します。最終的に久保の思考の連鎖は、イルカとドラッグ、そして、精神世界とを繋ぐ存在としてアメリカの脳科学者ジョン・C・リリー博士 (1915-2001) の研究に辿り着きます。リリー博士は変性意識状態や、イルカの脳の容積比の大きさに着目した超越的なコミュニケーション研究など、度々映画の題材となったほどの著名人です。しかし、研究プロセスに LSD やケタミンなどの薬物を導入したり、最終的には「地球偶然管理局 (Earth Coincidence Control Office)」という常軌を逸した存在の主張を始めるなど、先端の学問研究と「狂気」のグラデーションを体現した人物でもあります。
リリー博士が人間の体と精神を分離させる研究に利用していたアイソレーション・タンク ( 感覚遮断装置 ) は、密閉されたカプセルの中で高濃度の硫酸マグネシウム溶液に体を浮かべて、外界の刺激を全て遮断することで、高度な瞑想状態を得られるように開発されたものです。久保は、アイソレーション・タンクに入るサービスを提供しているサロンで実際に自ら体験しました。体は体温と同じ温度の溶液に支えられて浮揚し、音も光もない状態では、肉体の存在を忘れて自分が意識のみの存在になったような感覚を得られます。リリー博士の言うように、こうした変性意識状態を脳を外部世界へと拡大/接続させるための糸口として捉えるかどうかはさておき、久保にとって今回の個展では、自分の中にある真実として、曽祖父から受け継ぐ DNA と血族としての歴史、親から子へと引き継がれる体験と思考、それらがカブトガニやイルカをキーワードとして多角的に枝分かれし接続していく感覚を展示として具体化しようという試みがなされています。他者から見た常識を捨てて、ただ自分の中にある真実のみを突き詰め、「僕の体が僕の実験室です」といういかにも象徴的な言葉を遺したリリー博士の姿勢は、久保にとって自分と重なるように思えるのでしょう。妄信と呼ばれようとも、「オカルト」だと誹られようとも、隠されたものの中に自分のみぞ知る真実を見出したならば、それに真っ向から対峙し具体的な事象へと置き換えていくことが久保の行う作品制作だからです。久保は今回の展覧会後にはポーラ美術振興財団の助成を受けて母方の祖国フランスへ移ります。これまでのリサーチ・プロジェクトにおける久保の地誌学的なアプローチからして、自分のもう一つのルーツに対して場所と文化環境とに密接に関わることで、より濃密な「オカルト」へと行き着くだろうと予想され、作家自身それを見越した手がかりをこの展覧会の中で見出そうとしているのです。つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
児玉画廊 小林 健
プレスリリースより抜粋